スタインウェイの歴史

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スタインウェイピアノは世界最高のピアノメーカーの1つで、今も多くのピアニストたちに愛されているピアノです。
今回は、このスタインウェイの歴史についてご紹介します。

STEINWAY & SONS

アメリカの気候に負けないピアノ開発の必要性

8世紀当初、裕福な人々が増えるに従ってピアノの需要が急増し、ヨーロッパから数多くのピアノが輸入され始めました。しかし、アメリカの気候や広大な大陸間輸送などの環境は、ヨーロッパから輸入された繊細なピアノには過酷なものでした。

そのため、アメリカの音楽愛好家たちは、アメリカの環境に合ったアメリカ製のピアノを作ろうと考え、ヨーロッパから多くの技術者を集め、ピアノ製造に取り組み始めました。

スタインウェイ誕生、ピアノの歴史が変わる

スタインウェイ&サンの創始者、ハインリッヒ・シュタインヴェーク(ヘンリー・エンゲルハート・スタインウェイ)が、生まれた国ドイツから、息子たちとアメリカに移住してきたのもちょうどそのころ、1853年のことでした。

ハインリッヒはドイツ・ゼーセンでオルガンを製造する技術者で、1836年にスタインウェイ製造番号1号となる高品質のピアノを初めて完成し、その三年後に行われた見本市にスクエアピアノ2台とグランドピアノ1台を出展して1位を獲得しています。

その後、パトロンである王侯貴族が凋落し、ヨーロッパは政情不安になったため、ハインリッヒはアメリカに移住することを決意し、息子たちとともにアメリカにわたり、「スタインウェイ&サンズ」を設立しました 。

スタインウェイ・ピアノを生み出した息子たち

スタインウェイがピアノ制作を始めたころ、すでにアメリカのピアノは頑丈な鋳物のフレームを持つようになっていました。スタインウェイの息子ヘンリーJr.は、鋳鉄のフレームに交差弦*を張る方法を完成させ、1855年のアメリカ工業博覧会に出展しました。

これが評判となり、スタインウェイが製造した当時のスクエアピアノは飛ぶように売れました。これを資金にして、スタインウェイはグランドピアノの製作を始めます。

息子のヘンリーJr.はスタインウェイの最初の7つの特許を取得するなど大きな成果を挙げましたが、すぐ上の兄チャールズとともに、1865年に早世してしまいました。ハインリッヒは相次いで二人の息子を亡くし、すっかり気落ちしてしまいます。

当時、ハインリッヒの長男テオドールはドイツに残ってピアノを作り続けていましたが、ピアノづくりのパートナーである弟二人を失った父を気遣い、ドイツの工場を手放しアメリカに渡ってきました。

その後、ピアノの製作を受け継いたテオドールは、現在までスタインウェイ・ピアノを支えることになる127の特許のほぼ半分を取得し、それまでのピアノを凌駕する世界最高のスタインウェイ・ピアノを完成させるのです。

スタインウェイ・ピアノの歴史が始まる

スタインウェイ・ピアノはヨーロッパでも大きな反響を巻き起こしました。
1862年ロンドン博覧会、1867年パリ万国博覧会で金賞を受賞し、交差弦*のスタインウェイ・システムはヨーロッパのピアノ製造の常識を変えることになりました。

スタインウェイのグランドピアノは晩年のリスト、アルトゥール・ルービンシュタイン、20世紀の巨星ホロヴィッツ、アシュケナージを始め、ほとんどのピアニストから選ばれ、『神々の楽器』と呼ばれています。
20世紀に入ってからは、クラシック音楽に限らず、ジャズ、ポップスなどあらゆるジャンルのトップミュージシャンたちに選ばれ続け、今日に至っています。

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