グランドピアノの歴史

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ピアノが誕生して約300年。この長い歴史の中に、どんな変遷があったのか――
ここでは、グランドピアノの歴史について紐解いていきます。

グランドピアノの歴史

グランドピアノの形態はハープシコードから

ピアノは、鍵盤を押すことによってその力がアクションを通してハンマーに伝わり、ハンマーは弦を叩いて音を発する仕組みになっています。

それまでは、鍵盤を押すと鍵盤の先端に付いている爪が弦を弾いて音を出す弦楽器ハープシコードが主流でした。
そのハープシコードやチェンバロの大きなものでは、現在のベビーグランドピアノとほぼ同じ形の箱に音響装置を収め、響板の響きを増大させるために箱の蓋を開けて演奏していました。

ピアノの原型を作ったのは、チェンバロ制作者のクリストフォリ。1709年のことでした。「ピアノ」は略された名前で、正式名称は「フォルテピアノ」と言います。現存していませんが、クリストフォリ制作の現存最古のピアノはフィレンツェに遺されていました(現在はニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵)。そしてそれはグランド型のピアノなのです。

ドイツで初めて作られたグランドピアノ

スタインウェイのルーツであるドイツでは、オルガン制作者だったゴットフリート・ジルバーマンが1730年代半ばに初めてグランドピアノを制作しました。

それはクリストフォリの論文、あるいは実物を見て作ったと言われています。
プロイセンのフリードリヒ2世がジルバーマンのピアノフォルテを大変気に入って、高額なピアノを何台も購入したために、ジルバーマンは製作に没頭することができたのです。

ヨハン・セバスティアン・バッハが孫に会うためにベルリンを訪れた際、フリードリヒ2世は、彼を近郊のポツダムにあるサンスーシー宮に招きました。

そこには何台ものピアノフォルテが置かれていたため、バッハは渋々ピアノを弾いてみました。音を高く評価したもののタッチが重いことと、高音が弱いという欠点を指摘。

それを受けて、ジルバーマンは何年もかけて修正し、バッハの無条件の称賛を勝ち得たと、ベルリン大学教授だったシュピッタは書いています。

イギリス式メカニズムとフランス式メカニズム

ゴットフリート・ジルバーマンの死後、ヨーロッパ全体が戦乱に包まれました。これを避けるために、ジルバーマンの弟子たちが大挙してイギリスに渡ったため、グランドピアノ制作の舞台はイギリスに移ったのです。

18世紀後半のイギリスは、スクエアピアノ全盛の時代でした。家庭にピアノが普及したため、スペースを取らないスクエアピアノに人気が集まったのです。
その中で、スコットランド人のブロードウッドなど3人が、イギリス式のグランドピアノのアクションを考案し、ハープシコードのケースに収めたグランドピアノを1770年代に完成させました。現存、最古のブロードウッド・グランドピアノは1786年製です。

フランスでは、1777年にセバスチャン・エラールがスクエアピアノを作り始め、1796年、パリで最初のグランドピアノを制作しました。
また19世紀前半にはウィーンで跳ね上げ式アクションが考案され、ウィーン式のグランドピアノが登場。モーツァルトはアントン・ワルター作のウィーン式グランドピアノを好んで弾いたと言います。

グランドピアノのエポック

それは1853年、ドイツからアメリカに移住したシュタインベーグが、スタインウェイ&サンズを設立したことから始まります。

息子のヘンリーは、スクエアピアノのために交差弦システムを完成させるのですが、これはグランドピアノの性能をも飛躍的に向上させる発明でした。
やがてヘンリーの死により、ドイツでピアノ製造を続けていた長男テオドールがアメリカに合流すると、スタインウェイのグランドピアノは他の追随を許さない数多くの特許を取ります。

スタインウェイのピアノ作りにかける情熱はグランドピアノ、それも大ホールに満ち亘る卓越した音響効果と、高音でも微かなひとつひとつの音を聞き分けることのできる繊細な音色、軽いタッチを持ち合わせたコンサートグランドピアノに集結されることになりました。

現在、世界のアーティストのほとんどが「スタインウェイ・コンサートグランドピアノ」を演奏しているという事実が、スタインウェイこそ究極のグランドピアノであるという認識と歴史の重みを物語っているのです。

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